これは、わたしが大阪市内の会社でサラリーマンをしながらスーパー銭湯の開業に向けての仕事をしていた頃の話だ。
  当時のわたしは何事に対しても要領が悪く、業務を溜め込んでは毎晩日が変わるぐらいの時間まで残業を繰り返していた。この頃はまだ残業がそこまでの悪と位置付けられておらず、できないなら時間をかけてやれが当たり前の時代だった。さらに、徒歩圏内に住んでいなかった為、終電もないしタクシーを使う金銭的な余裕もない。着替えは運よく終電で帰宅できた日にするという、今思えば地獄のような日々を過ごしていた。
 そんなわたしの唯一の癒しは、会社の近所にあったサウナ施設だった。そのサウナは8階建てぐらいのビルの半分の階層を使い、浴場、レストラン、休憩室、雑魚寝コーナーを併設する店舗で決して綺麗とは言い難いものだった。しかし深夜に職場を出て、その辺のラーメン屋で酒を飲み、酔いが回った状態で雪崩れ込むそこのサウナの休憩室にあるソファベッドに極楽を感じていた。 
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 ある日のこと、いつものラーメン屋が満席だった為、居酒屋でいつもより深酒をしてしまいそのサウナ施設を訪れた。セオリーだとまずは風呂に入るのだが、この日はあまりにも疲労困憊していた上に酒も入っていたので、その余裕はなく休憩室のソファに横になった。


 何時間いや何分か眠っただろうか、ふと目が覚めた。メガネを外していたので時間は不明だった。しばらくして、あたりが妙に静かなのに気付いた。今日はいびきのうるさいおっさんや寝言をひたすら言っているおっさんが一切見当たらない。いや、それどころか休憩室にわたし以外いなかったのだ。こんな日もあるのか、と若干の違和感を感じながらも、再び目を閉じた。

 ここから不思議なことが起こった。

 休憩室で目を閉じたはずのわたしの次の記憶は脱衣所で自分が服を脱ぎ、浴室に向かい足を運んでいるシーンだった。浴室にはかなりの湯気が立っていて中がほとんど見えない。だが、浴室中央に位置していた主浴槽には湯気の中に映る、女性と思われし直立した影があった。このような状況があれば通常そのまま入浴するなどあり得ないだろうが、そのまた次の記憶でわたしはその浴槽に天井を見ながら入浴していた。そして、立ち上る湯気に纏わりつかれながら、ゆっくりゆっくり沈んでいくシーン。天井を向くわたしの視界に女性の影が覆いかぶさってきた。体も記憶も何もかも湯に吸い込まれていくような不思議な感覚に陥った。

  目が覚めた。

 休憩室のソファに横たわるわたしの周りでは、いつも通りけたたましいイビキや寝言が響いていた。夢か現実か。入浴はしたのかしていないのかも定かではなかった。あの記憶は一体なんだったのか。結局その日は、朝風呂に入り何事もなく出社した。

 後日談だが、その当時開業に向けての業務をしていたスーパー銭湯がオープンしたことで、このサウナは閉店を余儀なくされた。そして、当時このサウナで勤務していたスタッフ1名をそのスーパー銭湯で採用した。 そのスタッフのMさんにわたしの体験談を話したところ、その湯気の中の女性の目撃例は多発していたのだ。それだけではなく、過去に2件その女性がいた主浴槽で仰向けに沈んだ状態で死亡事故が起きていたのだ。時間はサウナ施設の浴場が清掃の為に一時利用できなくなるAM2時〜5時の間。
 果たしてわたしはその時間に入浴して溺れかけたのだろうか、なぜ助かったのだろうか。今もよく分からない。