同僚Nがバイク事故で右腕を骨折し、しばらく休むことになった。(第三話 傾いたエアコン)
 そんな訳で勤務シフトに穴ができ、普段入ることが少なかった閉店時間帯の勤務を任されることが多くなった。当然、閉店作業を伴う業務を行うわけだが、これがなかなか重労働であった。内容は1日中サウナー(※サウナ愛好家)の汗を吸い続けたサウナマットの回収、シャンプーなどのソープ類の全補充がそうであるが、中でも過酷だったのが露天風呂の片付けだ。
  このスーパー銭湯は見晴らし抜群の大展望露天風呂を売りにしているだけあって、最上段の風呂にたどり着くまでの階段が異常に長かった。余談だが、段数は42段となんとも不吉である。そして、この階段は冬の夜間にはもれなく凍結していて露天風呂の片付けを行うスタッフに日々苦痛と転倒の恐怖を与えていた。

 2003年の冬頃、わたしはバイク事故で骨折した同僚Nのシフトを交替し、閉店業務を伴う時間によく勤務していたのだが、その日のことは今でもよく覚えている。
  閉店業務の締めとして、すでに消灯して闇に包まれた露天風呂の浴槽が凍結しないように蓋を閉めに行っている最中のことだ。最上段の浴槽に蓋をしていると、急な悪寒に襲われた。特段寒い日であった為それも納得のはずなのだが、そうではない悪寒を感じる。何かそう背後から刃物を突きつけられ、今にも刺されそうな気配のような。
 耐えられなくなった私は蓋閉め作業を中断し、急ぎ階段を駆け下りた。と、次の瞬間天地が逆転した。一瞬意識が飛んだが、すぐに認識した。凍結した階段で転倒して何段か滑落し自分が今、空を見上げていることを。打ちどころが悪ければ危なかったな、などと若干安堵しているわたしの視界に最上段の露天風呂にある東屋が入った。ほてった体を冷ます用途で作られた東屋に冬の間にひとがいることは珍しい。だがそこには、明らかに2m以上はある巨大な白い服を着た女が立ち、声こそ聞こえないが今こちらを見てニヤニヤ笑っている。
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 館内に逃げ帰ったわたしが一部始終を説明しても、当然のごとく誰も信じなかった。それどころか最終的には転倒した時に頭を打ち、一瞬幻覚を見たと認定されてしまい、わたしも自身が見た光景を否定するに至った。確かに今思えば、転んだ拍子に見た一瞬の幻覚だったのかもしれない。しかし、勤務後の入浴中に浴室から見える露天風呂最上段の東屋を見上げる勇気はなかった。
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 しばらくして 同僚Nが勤務に復帰したため、わたしは閉店業務から解放された。後日同僚Nから事故当時の話を聞く機会があったのだが、バイクで走行中に突然白い布のようなものが目前に飛び出してきて、避けようとしたところ縁石に乗りあげたとのことだった。わたしが見た東屋の女との因果関係は不明である。